前回、政策起業コミュニティにおけるシンクタンクの役割について検討した。そうした分析を踏まえ、今回は日本におけるシンクタンク事情を、現状の課題と今後の展望を踏まえながら考えていきたい。
日本は「シンクタンク小国」であると言われることがある。
そもそもシンクタンクは日本にいくつあるのか。ペンシルヴァニア大学のシンクタンク・ランキングに関する2018年のレポート(University of Pennsylvania, Scholarly Commons, ”2018 Global Go To Think Tank Index Report”)によれば、対象となった日本のシンクタンク数は128で第9位。1位はアメリカ(1871)、以下インド(509)、中国(507)、イギリス(321)、アルゼンチン(227)、ドイツ(218)、ロシア(215)、フランス(203)と続く。日本の次位にはイタリア(114)が位置している(カッコ内はシンクタンク数を表す)。これだけ見るとややアメリカ一強な嫌いがあるが、人口を考慮してみてもシンクタンク数で10位圏内に位置する国のうち、1人当たりのシンクタンク数が日本よりも小さいのは10億人以上の人口を抱える2位のインドと3位の中国だけであり、それ以外の国は軒並み日本を上回っている。シンクタンクの絶対数では日本に劣る国10位以下の国であっても、OECD諸国の1人当たりシンクタンク数自体は日本のそれを優に上回っている。
なぜ日本はシンクタンク小国と呼ばれるのか? 一強状態のアメリカを割り引いたとしても、他のG7諸国に比してもやや見劣りするような結果である。ここには、制度的要因が大きく絡んでいる。アメリカの場合大統領制を採用しているために、政権内での政治任用職が多く、それゆえ政権交代に伴って政府首脳が大きく入れ替わる。政権交代に伴って入れ替わる政治任用職は約3000と言われており、このような「回転ドア(revolving door)」と呼ばれる流動的な政治的人事のシステムは、官民の人材・政策形成の手法や情報の循環、ひいてはシンクタンクの活力に大きく貢献しており、シンクタンクに対する政府当局からの様々な需要を下支えしてもいる。
アメリカの政治的文脈にシンクタンクが適合的な一方、議院内閣制の国にシンクタンクがないかと言われれば必ずしもそうではない。ただし、ヨーロッパ諸国のシンクタンクの起源は、当然のことながらアメリカと異なり、市民社会に根を張った組織政党の付属研究機関としての起源を持っている。具体的には、教会を母体とするキリスト教民主主義政党や、労働組合を母体とする社会民主主義政党は、19~20世紀にかけて政権参画のために独自の調査・研究機関を設立してきたが、それらは今日にも続く伝統的なシンクタンクとして政党の政策立案能力向上に貢献している。ドイツを例に採れば、キリスト教民主同盟(CDU)はアデナウアー財団、社会民主党(SPD)はエーベルト財団、自由民主党(FDP)はナウマン財団といったように、自党の代表的政治家の名前を冠したシンクタンクが、政党財団という形で根付いている。
イギリスでは、保守党が政策研究センター(Center for Policy Studies)やボウ・グループ(Bow Group)、労働党がフェビアン協会(Fabian Society)といったように、左右二大政党が独自にシンクタンクとの関わりを持っているが、シャングリラ・ダイアログを主催している国際戦略研究所や、「チャタムハウス・ルール」で知られる王立国際問題研究所(別名チャタムハウス)など、アメリカ的な独立系シンクタンクもまた存在感を示している。
翻って日本では伝統的に、そうした公共政策に関わるような非営利の私的機関の伝統は強くはなかった。カーター政権で大統領補佐官を務めたブレジンスキーが回想しているように1980年代以降、事業会社や金融機関によって独自の調査研究機関の創設が進み(ズグビネフ・ブレジンスキー『ひよわな花・日本』)、「シンクタンク元年」と称されるほどの盛り上がりを見せた時期もあった。元々これらの機関の設立理念も、公共政策と社会に経済界から積極的に影響を与えるという、理念型としてのシンクタンクに近いものが目指された。特にバブル崩壊を経て多くの母体組織の経営基盤が悪化する中で、多くの組織は次第に採算性の取りやすい市場調査、システム開発などを含めた、営利企業向けのコンサルティング・ファームとしての機能への比重を高めていく。
90年代以降には企業とは独立した非営利のシンクタンクも数多く設立されたが、その多くは資金調達を含めた活動基盤の脆弱さに直面し、東京財団や構想日本などの一部の例外を除けば、多くは2010年代までに活動を休止するに至っている。
令和日本でも決してシンクタンク産業は順風満帆とはいえない。シンクタンクと名乗る組織は一昔前に比べれば多くなってはきたが、アメリカをはじめとする諸外国で期待されている役割を継続的に果たし続けている組織は必ずしも多くはないだろう。「霞が関が最強のシンクタンク」という立論は、まさにそうした現状を裏側から描写したフレーズでもある。
この状況が歴史的に積み上げられ、一朝一夕で変わるものでないことは間違いない。ただ、その現状を今後も是認して良いか、と問われれば恐らく否であろう。
政策研究大学院大学の飯尾潤教授をはじめ、多くの日本政治研究者や識者が共通して指摘するのは、21世紀の日本は「政策輸入」の時代から、「政策モデル無き時代(政策飽和の時代)」の時代に転換したということだ(飯尾潤『現代日本の政策体系 政策の模倣から創造へ』)。
高度経済成長期は、右肩上がりの経済成長を続けている中で、産業政策・社会政策では、政府が諸外国から「先例」を「輸入」し、日本流にマイナーチェンジすれば政策の効果はある程度保証されていた。セクショナリズムの弊害があったとしても、それは経済成長のパイ自体が拡大する中で必ずしも大きな問題ではなかった。外交・防衛政策面でも、冷戦構造下のような静的(static)な安全保障環境の中、軽軍備路線の名の下に日米同盟と自衛隊を消極的に管理すれば我が国の安全を守れた時代であった。
しかしながらバブル崩壊以後、「失われた20年」による低成長・少子高齢化・税収減の3重苦の中で、政府の産業・社会政策の選択肢は狭まり、新たな課題としての地方創生も先鋭化している。第四次産業革命時代におけるテクノロジーの加速度的な発展に対し、シェアリングエコノミーやフィンテックに代表される業界・業態構造の再編に、政府の法制度・規制設計の速度が追いつかない現象や、テクノロジーの社会実装に向けた社会(住民)との関係構築など、霞が関-行政機関が構造的に不得手とする課題も出てきている。
対外政策でもトランプ政権の誕生から、米朝合意の進展、中国の海洋進出、宇宙・サイバー、更には米国以外の国々との防衛外交・防衛関与などの新領域の政策分野に至るまで、よりダイナミックな形で安全保障環境は変化している。こうした中で、日本も自衛隊の運用から草の根の国際協力までを含めた新たな役割を求められている。いかに省庁横断的、かつ前例にとらわれずに積極的に活用しながら、わが国の安全保障政策と地域秩序をデザインするかが問われている。
こうした課題の解決は、恐らく霞が関のみで完結するものではなく、霞が関なくしても解決できるものではない。制度・法令を熟知した官僚から、現場での課題とその解決を巡る知見を持つ社会起業家や事業会社職員、政策分野の理論と歴史に精通し、諸外国とのネットワークを持つ大学教授まで、多様な政策起業家の叡智の結集が求められることは間違いない。
前編で述べたように、大学とは決定的に異なるシンクタンクの使命は、「政策研究」によって得た「知」と、それらの社会実装化としての「治」の架橋である。そしてこれはすなわち「社会」と「政府」の架橋でもある。そうした機能を国内のシンクタンクと呼ばれる組織が今後果たしうるのか(あるいは、別の業界がその機能を代替するのか)。それを果たす上で、十分な人材や資金を、今後業界として集めうるのかが、今後注目されているといえよう。
(API 21世紀日本の政策起業力プロジェクト事務局)