前編では、大学という組織の位置づけと政策との関わりを見てきた。後編では大学という組織に属する「研究者」と政策とのかかわりに着目したい。大学はそれ自体が必ずしも政策研究に積極的に設計されたインフラではないが、そこに属する研究者と政策との関わりが皆無だったわけではない。大学研究者と政策はいかなる関係を結ぶのか、以下詳細に検討していこう。
政権交代に伴って政府高官が大幅に入れ替わり、政府と民間企業・シンクタンク・大学などの人材と知の循環が一斉になされるのがいわゆる「リボルビング・ドア」システムである。前回少し触れた、国際政治学者のキッシンジャーがニクソン・フォード政権の大統領補佐官・国務長官に就任した例は良く知られているが、最近でも同じく国際政治学者のジョセフ・ナイが国務次官補・国防次官補を務めた例がよく知られている。このようにアメリカでは、大学教授が政府高官に就任して自らの持つ学術的知見を政策に実装する例がしばしば見られる。
議院内閣制ゆえに政治任用職が少ない日本でも、大学に籍を持つ研究者が閣僚や議員となって政策の実装に携わる例がないわけではない。最近では、東京大学総長・理化学研究所所長を務めた有馬朗人氏が小渕恵三内閣で文部科学大臣・科学技術庁長官に就任したり、経済学が専門の政策研究大学院大学教授(当時)の大田弘子氏が第1次安倍・福田内閣の経済財政担当大臣を務めたりするなどの事例が見られた。
しかし政府高官にポストを得るのは事例としては極めて少ない。むしろ圧倒的に多かったのは、研究者たちが政府設置の委員会・審議会のメンバーとなって政策に携わる例であった。外交・安全保障政策や経済政策などを中心として政府内に設置された委員会・審議会に研究者が所属し、特定の政策に関して発言したり提案を出したりするなどの形で政策に携わる、という形である。日本にシンクタンクが少ない中、審議会は研究者に開かれた数少ない政策への変換の窓口である。
上記のように日本でもわずかながら審議会などの参加という形で研究者に政策に関与する道は開かれていたが、それが学問で得られた知の変換にとって、十分に機能していたか否かは議論のあるところだろう。政府の審議会の数は限られていることに加え、多くの場合審議会の結論は行政官が望む形で、コントロールされることが多いと長年問題視されてきた。
すなわち審議会の人選、議事録の執筆など、様々な局面で、結論は行政が望む「予定調和」の範囲におさまり、審議会の有識者はその予定調和の結論に対して権威/お墨付きを与える存在にすぎない場合がある。過度な一般化は慎まねばならないが、そうした審議会システムで研究者に期待されるのが、本当に彼ら/彼女らの「学識」「アイデア」であったのかは、疑問の余地がある。同時にそのように「使われる」存在となることが、そもそも研究者が自らの時間を割いて貢献するべき活動であるか、「御用学者」と呼ばれるリスクを犯すほどの価値があるものかは、研究者の間でも意見は分かれよう。
そうした中で「第三の道」として見いだされたのは、社会への知の普及である。つまり、審議会を通じた政策決定者との対話、あるいは政策決定者のポストを自ら占めることによる政策決定への関与でもなく、市民社会に向けた知の提供である。英国の国際政治学者ロレンス・フリードマンによれば、こうした形での知の提供によって、アカデミアは市民社会の中にも政策に関して、物議をかもす議論や感情的攻撃に訴えることのない言論空間を構築し、(政策の)複雑性に関する認知を深めることに繋がる(Lawrence Freedman, “Academics and Policy-making: Rules of Engagement”)。市民社会の政策リテラシーを高めるという横展開を通じて、アカデミアは政策形成に関与すべきだという見方は、普遍的に強い。
日本でもこうした在り方を模索した学者がいた。例えば京都大学で国際政治学を講じた高坂正堯である。京都大学で最初の国際政治学講座の担当者となるなど、日本における国際政治学の草創期を担った高坂は、日米安保の賛否と自民党・社会党の党派対立のリンクを避けつつ、「現実主義的安全保障政策」のための対話を模索し、雑誌『中央公論』を拠点として言論活動を行う一方、佐藤栄作内閣をはじめいくつかの政権にブレーンとして関与している。そしてその活動の両方には、彼の専門である近代ヨーロッパ外交史の知見が活かされていた。高坂は政府と市民社会の両方に目を向けながら、研究者に求められた役割をよく把握して行動していた。
現代では、高坂が活用した伝統的論壇誌の役割は相対的に小さくなっているが、他方でブログ・SNSなどの媒体を使った発信・対話を積極的に行う研究者は年代を超えて少なからずおり、そのような形での社会に対する新たなエンゲージメントも見られるところである。
これまで述べたように、総じて我が国では大学と政府、双方に存在する構造的要因から、大学の学術知を政策に変換する上では、多くの課題を抱えてきたことは間違いない。最後に、以上の議論を踏まえ、政策志向の研究者のキャリアを巡る問題に触れ、むすびと変えたい。
そもそも、審議会での有識者に求められる権威が、学識・アイデアよりも権威であるならば、そのお鉢が回ってくるのは若手研究者ではなく中堅・ベテランの研究者以上にしかならないのは当然である。また、仮にそうで無くとも、特に大学での終身雇用を考える若手研究者は、年々熾烈さを増す競争を勝ち抜くための研究(特に査読論文執筆)・教育実績を積む時間とのやりくり、更には政策との接近で自らのアカデミアとしてのキャリアに傷が付く恐怖から、ある程度の年齢まで、そうした活動と距離を取ることは、個々人のキャリア形成の誘因からは無理からぬことである。
ここまでの議論の再確認に過ぎないが、そもそも大学・アカデミアという組織は、本来的に研究者―特に若手研究者を政策への関与に駆り立てるようには設計されていない。この構造は日本では特に強いが、例えば米国や欧州でも多かれ少なかれ共通する。
それでは、大学・アカデミアの評価基準・ガバナンス改革等を通じ、大学を政策志向の機関に改造すればよいかといえば、それも「筋悪」な議論であろう。拙速かつ大胆な改革は、学術研究・教育という大学が本来担うべき役割の空洞化をもたらしかねず、そもそも現在の我が国の国公立/私立大学の財政的・人的リソースを考えればおよそ現実的とも思えない。
現状を踏まえて問われるべきは、大学の学術知を政策に変換し、また大学で博士号を取得した優秀な研究者が、伝統的アカデミックポスト以外でもキャリアの安定性を担保しうる仕掛けの存在だろう。
それは諸外国では、まさにシンクタンクというインフラが担ってきたものであるし、我が国では今後、大学付属の政策研究所や公共政策大学院にもそれが期待されるのかもしれない。いずれにせよ求められるのは、大学自体の抜本的改革よりも、大学の社会的機能を守りながら、大学が提供する知・人材を政策に適切に活用しうるバランスの取れた社会デザインなのである。
(API 21世紀日本の政策起業力プロジェクト事務局)