中編にあたる今回は、鈴木教授のミッドキャリア時代のハイライトである「宇宙基本法の策定」と、「国連安保理イラン制裁パネルでの捜査」という事例を掘り下げ、研究と実務の境界線の中での研究者の価値と、研究者が得られるものについて伺いました。
前編はこちらからご覧ください。
--鈴木教授は御著書の中で、宇宙基本法の策定に携わられたことに触れられていましたが、どのような経緯でそうしたお話になったのでしょうか。
ことの発端は、2003年に起こったある事件でした。JAXA(宇宙航空研究開発機構)が打ち上げたH-ⅡA6号機の打ち上げが失敗して、そこに搭載されていた内閣官房所管の衛星がダメになってしまった。搭載衛星には何百億円の開発・打ち上げ費がかかっていたので、福田康夫官房長官(当時)は「国のために大事な衛星をなぜ潰した」と激怒したんですね。それに対して河村建夫文科相(当時)は「JAXAのロケットは研究開発のロケットですから、失敗することもあるんです」と答えて、火に油を注いだ結果となってしまいました。
今思えば、この事件が日本の宇宙開発の大転換点だったと思っています。「研究開発のために存在するロケットって何の意味があるのか」という政策的な問題意識が関係各位に共有され、「このままでいいのか」という話になる。結論として「これはいかん、このままじゃいかん」となったんですが、宇宙政策の中心にいた理系出身の重鎮たちに聞いても「技術開発は、失敗することもあるんですよ」という話で、問題は全然解決しないわけです。
既存の宇宙開発コミュニティだけではにっちもさっちもいかないなかで、「宇宙開発コミュニティと全く関係ない政治学者で宇宙の研究をやってる奴がいるぞ」といって、私に白羽の矢が立ちました。
--具体的には、どのような立場で、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
2005年に第2次小泉内閣の内閣改造で河村文科相が辞職し、その後彼が私的に始めた勉強会(河村懇話会)でまずは講師をやっていました。2週間に1回という高い頻度で2007年まで2年間行い、最初は私的勉強会として自民党の中堅クラスの議員さんを集めてやっていたのですが、その後は自民党の政策調査会で取り上げられ「日本の宇宙政策を変えなければならない」という決議もしました。最終的に自民党・公明党・民主党の3党合意として宇宙基本法が議員立法で通ったという次第です。私自身も法案作成をお手伝いし、私の意見も法律に反映してもらえたと思います。
政治主導を上手く利用した進め方、ワンフレーズで魅せるポリシー・マーケティング、そして研究者として、ただ他国の事例を紹介・直輸入するではなく、日本の文脈に上手く翻訳して実務に落とし込むこと意識しました。
--宇宙基本法の立法プロセスの中で工夫されたことを教えてください。
前提として、宇宙基本法をめぐる背景と含意を説明すると、元来日本の宇宙政策は文科省・JAXA主導の「研究開発」の論理で回っていました。一方で宇宙基本法は、こうした政策をめぐる論理が明白な限界を抱える中で、世界標準の宇宙開発に適応可能な政策決定のメカニズムを作るため、「開発から利用へ」というキャッチフレーズを掲げ、「日本のこれまでの研究開発は悪いことではないが、ここまで来たから、研究開発したものを利用しよう」という理念と、今後の宇宙政策の推進体制を明確にした立法です。
「開発から利用へ」を軸に、利用とは何かを検討すると、例えば防衛利用などが出てきます。元来1969年の宇宙の平和利用決議で防衛利用が禁止されていましたが、宇宙利用の一環として「防衛利用」もありだという形で解釈変更も行い、これらを束ねて文科省ではなく利用官庁を中心とした枠組みの必要性を指摘しました。制度変更も防衛利用も「開発から利用へ」のフレーズから派生する形で論理構成し、結果として文科省・JAXAの専権ではなく、各利用官庁と、総合調整のための内閣府が宇宙政策を所管するという形に転換するわけです。
立法プロセスの中では、常に文科省や業界に先んじて動き、「現状維持」に傾きがちな従来の宇宙政策コミュニティのプレイヤーの既得権益に基づく論理は、可能な限り排除することを心掛けました。官公庁の枠組みの中だけでやっても既存の構造を変えることは難しいので、河村懇談会の段階で政治主導で骨子を固め、自民党内部のプロセスの中でそれをアップデートしていく、つまり政治の力を上手く利用するプロセスをとりました。
また、ポリシー・マーケティングを意識しましたね。2005年当時、小泉純一郎首相がワンフレーズ・ポリティクスとして、「自民党をぶっ潰す」と主張して大きく政治を動かしていたのを横目で見ていたので、私も「開発から利用へ」という、わずか7文字で政治家の腑に落ちやすいキャッチフレーズも使いながら、政治家との折衝・説明の仕方などは工夫をしていました。
--そうしたお仕事の中で、研究者として意識されたことは何かありますか。
この仕事は「研究者だから」こそできたことだと感じています。よくある、「アメリカやヨーロッパでやってるので日本でもやってみましょう」といった、外国の例をそのままやるアドボカシー(唱道)になってはいけないとの思いが自分の中で強くあり、日本に合わないものを輸入して拒絶反応が起こるようなことは避けたいと思っていました。
研究者として、様々な国のシステムや政策決定やそのメカニズムなどを深く理解した上で、他国の条件やケースを見るときも、「日本でそれをやるならどう翻訳するか」との問題意識は常に抱えていましたね。
当時は、自身が博士論文で用いた「政策論理(policy logic)」という独自の分析枠組みを活用していた記憶があります。簡単に説明すると、各国には政策を行うための理屈・論理がある。宇宙開発について具体的に言うと「技術開発」「商業利用」「安全保障」「国家の威信」などがあり、それがうまく重なると国際協力が可能となる。ヨーロッパの宇宙政策が国際協力に揺れた時というのは、米国の圧力やソ連の崩壊など何らかの理由で各国の宇宙開発の「政策論理」が変わり、それが一致したときに協力が進む、というのを多様な事例で立証した訳です。
そうした分析枠組みを以てヨーロッパ・米国・インド・中国などを比較し、当時の日本の状況に一番近いと思ったのはやっぱりヨーロッパだったわけです。超国家的な枠組みの中で各国が縦割りというヨーロッパの状況を、各省が縦割りになっているという日本の状況に「翻訳」して、実務の中で法案に落とし込むことを意識した。その結果として縦割りを統合する結節点として、現在の内閣府の宇宙開発戦略推進事務局が設立されました。
--2013年から国連安保理でのお仕事をされていますが、これはどういった経緯だったのでしょうか?
宇宙の研究もその一環ですが、私の研究は基本的にナショナルとグローバル、シビルとミリタリーの際のところのテーマであり、その文脈で安全保障と輸出管理も研究テーマとしていました。輸出管理は制裁実務にも関わる話であり、制裁のことも勉強していました。更には2011年の福島原発事故の後に民間事故調査委員会に参画して原子力関係の研究も行い原子力安全規制と核の不拡散の問題の研究もしていました。これらのテーマを積み上げていく中で、核兵器や大量破壊兵器を巡る外務省の軍縮・不拡散関係のお仕事にも関わるようになりました。
2010年に国連安保理にイラン制裁パネルが出来た時、日本が安保理のメンバーだったので専門家を送り込むことができたのですが、その時は外務省の方が派遣されました。その方が異動になった後も継続して日本として枠を埋めたいということで、輸出管理・宇宙(ミサイル技術)・原子力が分かる専門家を探しているということで話が来ました。国連代表部のインターン(前編)では外務省の立場から世界を見たので、今度は逆に国連職員として仕事をするのも面白いなと思い、ちょうどサバティカルでプリンストン大学にいたので、引き受けました。
専門家パネルは8人のメンバーで、常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国)とドイツ、自由枠が2つでした。2つの自由枠は日本と途上国枠(最初ナイジェリア、後にヨルダン)が埋めていました。
私の在籍当時印象に残った同僚は、フランス代表で現在のジョージアの大統領であるサロメ・ズラビシュヴィリ(Salome Zourabichvili)ですね。フランス生まれの亡命ジョージア人の名門の家柄、過去にはフランスの駐ジョージア大使をやっており、その後当時のジョージア大統領サアカシュヴィリからジョージアの外相に任命され、フランスに戻って国連に派遣されていました。アメリカは最初防衛関係のジャーナリスト、その後任はローレンス・リバモア国立研究所で核の研究をしていた人で、いずれもプロフェッショナルを派遣していました。他方でロシアのような対イラン制裁に否定的な国は、天気予報のキャスターの職歴もある女性の外務省職員という変わった人材を送り込んできたこともありました。国により、捜査に協力的な人から妨害してくるスポイラーのような人物までいましたが、多くの方は実務家でしたね。
--イラン制裁パネルの中で、研究者ならではの貢献というのはあったのでしょうか。
研究者として意識したことは、インテリジェンスに関わる仕事—何を調べて、どういう情報が必要で、どういうロジックで構成されているか―における分析能力という点では研究者としてのトレーニングが役に立ったと思います。分析業務は実務家と研究者の境目は曖昧で、インテリジェンス関係の業務は実感として研究者の仕事と変わらないと思います。
ただし個人ではなく集団で報告書は執筆し、往々にしてその過程でロシアや中国の代表は国の立場を背負って反対をしかけてくるので、彼らとの駆け引きは、一般的な研究者ではもちろん経験できません。論理的な議論ではなく、国家の使命を背負ったやり取りを垣間見えるので、その点が研究者にはない面白さがあると思います。他にもIAEA(国際原子力機関)との調整などやや面倒な折衝もあり、各国のインテリジェンス機関との接触など、一般的な研究者として経験できないことは多種多様にあったと思います。
実務を通じて「現実に起こっていること」と「研究」との乖離がよく見えるようになります(…)狭いフレームワークで分析しても答えが出ないとき。広く、ときに他者の視点で分析する力は、やはり実務の中で身に付いた部分もあるかと思います。
--宇宙基本法策定や国連安保理イラン制裁パネルでの実務経験を積む中、「実務」から「研究」に、どのようなフィードバックがありましたでしょうか。
研究の観点で言えば、「現実に起こっていること」と「研究」との乖離がよく見えるようになります。特定の議論がとても理論的すぎてリアリティに欠けている、といったようなことが、わかってくるようになります。特に研究者は、分析の便宜上自分でフレームワークを設定し、観察対象を特定の事象に狭めるわけですが、実務に取り組むとその事象と観察対象外の他事象との接点・浸透圧があり、それを無視することはできない現象が起きます。宇宙政策の研究でも特に、研究する上でそういった点にも目配せする必要があると考えています。
例えば今、宇宙政策の分野で言えば宇宙空間のルール形成という話がホットで、そのルール形成における様々な動きに中国・ロシアが反対をしかけています。
それがなぜなのかは、恐らく日本の宇宙政策の視角だけでは理解できない。中国・ロシアは、宇宙を核兵器・ミサイルが通過する場所、つまり核戦略・軍備管理の空間として見ており、日本の宇宙政策にはこの論理がないからです。狭いフレームワークで見ても答えの出せない物事は沢山あります。広く、ときに他者の視点で分析する力は、やはり実務の中で身に付いた部分もあるかと思います。
―ありがとうございました。後編では、ここまでのお話を踏まえた上で、鈴木教授から見た安全保障政策過程における研究者と実務家の役割の差、若手研究者に対するメッセージを頂きます。
(聞き手・編集:瀬戸 崇志)
鈴木教授には2019年9月9日開催の『政策起業力シンポジウム2019』での個別分科会B『新領域/フロンティアの外交・安全保障-研究と政策を繋ぐこれからの研究者の役割-』にご登壇頂きます。詳細はこちらをご覧ください