後編にあたる今回は、いよいよタイトル-すなわち激動の安全保障環境の中で、安全保障の政策過程において研究者が果たすべき役割について、そして鈴木教授から次代を担う若手研究者へのメッセージをお話頂きました。
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--一般的に、特に安全保障政策の政策過程は、霞が関(市ヶ谷)に居る行政官・自衛官が中心的役割を果たすイメージで、研究者が積極的な役割を果たす印象は強くありません。その上で、鈴木教授から見た、研究者が政策過程で果たす役割とは何でしょうか?
「日本最大のシンクタンク」と呼ばれる霞が関の行政官が、政策過程の中で最も中心的な役割を果たしていたのは、日本が高度経済成長期であった時代です。成長や政策課題の解決の模範解答が諸外国や前例の中にあり、その応用に長けた官僚が国家を切り盛り出来た時代もあります。いつの時代も、特定問題への最適解の導出・実行は、彼らの強みです。
その意味で、モデルが存在する中での発展が可能であった80年代までは官僚の方が比較優位にあったと思いますが、現在のような日本が課題先進国とか言われる時代には、そもそも課題に対する答えを誰も持っていないこともままあります。
冷戦後の安全保障環境は、かつてとは全く異なる次元に達しつつあります。 研究者の本質は「答えのないものを探す仕事」(…)模範回答がない時代、解答例を研究者も提供し、問題解決の得意な官僚の人たちと政策を作るのが、 両者の役割分担のイメージです。
この分野では、冷戦後の安全保障環境は、冷戦期の日本が置かれたそれとはまったく異なる次元に達しつつあります。中国・北朝鮮といった我が国周辺の脅威の質的量的増大、宇宙・サイバーといった新領域のそれを含む日米防衛協力、あるいは日米以外の枠組みでの安全保障協力の深化、他方でアメリカを中心としたリベラルな国際秩序の後退論や、インド・太平洋地域での新たな秩序構想を巡る国家間のせめぎ合いに至るまで、極めて動的な変化を遂げています。
そのような中で、研究者の本質は「答えのないものを探す仕事」です。日本が外交・安全保障の分野で、次の局面において、何を、なぜ、いつしなければという答えを仮説と共に見出し、今までの歴史への眼差しも持ちつつ「無から有」を作り出す作業が必要になります。この作業は往々に特定の省や部局の利害を背負い、組織の現状維持が自己目的化してしまう行政にとって苦手な作業なのだろうと、霞が関の行政官の方々と仕事をしてきて度々思っています。
つまり、政策に対する模範回答がない時代、様々な選択肢の中からどれが望ましいのか、たとえ仮説であっても、その解答例を研究者もある程度提供し、問題解決の得意な官僚の人たちと政策を作っていくのが、ざっくり私の中の研究者と実務家の役割分担のイメージです。
--他方で研究者には研究者の領分や求められるべき中立性があり、政策当局やジャーナリズムとの適度な距離を重視すべきとの意見もありますが、その点はいかがでしょうか。
個人的には、「研究者だから…であるべきだ」「ジャーナリストだから…であるべきだ」といった杓子定規な規範には、実はそこまで意義を感じていません。
政策との接点により御用学者と呼ばれることを恐れる方も居ますが、自分はあまり気にはしないし、そもそも自分は御用学者ではないとの自覚があります。特定の政治家や官僚の意見があって、それに忖度して意見することはありませんし、むしろ彼ら彼女から投げかけられた問いに、自ら能動的に解答を提示していくのが自分の仕事だと思っています。
私は常に、「問題を解決する上で何をなすのが最善か」という結果志向のマインドでいるので、そのためにあまり自らの立場は意識しないほうがよいとも考えていますね。官僚以外に、研究者やジャーナリストなど、どんな立場からでも政策志向(policy-oriented)になることができて、それぞれのスタンスで力を発揮できます。そこであえて自分をカテゴリ分けすれば、政治家や官僚の道具として彼らの政策に権威漬けをする御用学者ではなく、彼らと一緒に政策を作っていく政策志向の研究者ということなのかと思っています。
--若手研究者が、研究と政策を繋ぐキャリアを歩むことの意義と、留意点を教えてください。
ここまで話した通り、私たちは冷戦期・高度経済成長期のような政策輸入の時代を超えて、これまで答えのない政策課題に対して答えを出すことを求められる時代に生きており、今までと全く違うアイデアを提供できるのは過去のイメージや固定観念を持っている中高年の研究者よりも若手研究者です。
私自身もかつて欧米の宇宙開発の在り方を見た上で、日本の宇宙開発のあるべき姿について多くの提言を試みました。私の若い頃はまだブログが無く、なかなか自らの意見を聞いては貰えなかったので、まずは学術論文を沢山書き、それを政策のコミュニティで取り上げてもらい、彼らの前で話す機会を与えてもらい、そこで提言などができるようになりました。またRAND研究所など海外のシンクタンクとの共同研究などを通じて海外から発信したものなどがきっかけで、様々な人に認知されました。
模範解答のない政策課題に対して答えを出すことを求められる時代に、今までと全く違うアイデアを提供できるのは若手研究者です。(…)自ら取り組んでいるテーマや答えの出ていない問題に答えを出そうとする努力をしてほしい。
特に昨今はネットの普及もあり、伝統的な権威を持つ方だけでなく、誰でもアイディアを発信出来る時代になっているので、どんどん良いアイデアを出して発信することには意義がある。Twitterでの情報発信で良い情報やアイデアを出し続ければ、それが巡り巡って行政官や政治家の方とのお仕事に繋がることもあります。
勿論、何かしらの肩書が発信をやりやすくするのは事実です。ただそれは、必ずしも超一流の大学などでなくともよい。自らの所属・出自をある程度証明できる何かしらの機関に所属していれば、発表する場はそれこそ無数に転がっています。後は、とにかくそこで自らの良いアイデアを出し続け、カタログに品を並べる。発信しなければ絶対に買い手はつかないので、まずは商品を揃えて並べれば、後は中身の勝負です。
--最後に、政策志向の研究者の道に憧れる若手の院生・研究者たちに、自らのキャリアを振り返った上でのアドバイス・メッセージを鈴木教授から頂いてもよろしいでしょうか。
まず「政策志向な研究者は、なろうとしてなるべきではない」ということですね。自分の突き詰めるべき問いを、アイデアとして積極的に世間に発信し、それが評価された結果として今の姿がある。政策志向な学者という生き方は、あくまで答えの無い政策課題への解を出すための一つの手段であり、それ自体は目的ではないのです。それをまず意識して欲しい。
関連して、やはり研究者として、対象は政策でもなんでもよいですが、自ら取り組んでいるテーマや答えの出ていない問題に答えを出そうとする努力をしてほしい。他の人の議論やアイデアを参考にしたり、学んだりすることは必要だが、最後は「自分の答え」でないと説得力は生まれない。
特にその過程で、特に政策志向の研究者であれば、現状の政策や情勢に対する深い分析・知見、更には歴史的な経緯が求められます。その上で、今まで誰も考えなかったような発想や新たな視座を見出し、それを理解してもらうために自分なりにロジックを積み上げ、かつ必要なときにはワンフレーズでそれを説明する。そういったプロセスをとにかく繰り返して、アイデアを人に売り込めるようにする。繰り返しとなりますが、「若手・大学院生の単なる戯言にすぎない」と思われないよう、どこかの所属を持つことは大事です。ただそれが良い大学とか、一流のシンクタンクであるか否かはこだわりすぎないほうがいい。
様々な媒体でアイデアを発信しやすくなっている世界において認められる上で、最後には、やはり「中身」が大事です。
―ありがとうございました。
(聞き手・編集:瀬戸崇志)
鈴木教授には2019年9月9日開催の『政策起業力シンポジウム2019』での個別分科会B『新領域/フロンティアの外交・安全保障-研究と政策を繋ぐこれからの研究者の役割-』にご登壇頂きます。詳細はこちらをご覧ください