21世紀日本の政策起業家論(2)
政策起業家とは何か?(後編)
事例で学ぶ政策起業家:英国の経験から、令和日本へ
前回は「政策起業家(policy entrepreneur)」について、学術的な先行研究をベースに概念を簡単に整理した。今回は、より具体的に政策起業家という人材およびキャリアを理解するため、英国のある「スーパー外科医」のエピソードを取り上げたい。卓越した政策起業家とは、一体どのような能力と振る舞いを兼ね備えたプロフェッショナルなのか。
とある外科医の政策起業
:アラ・ダルジ卿とロンドン市の医療制度改革
今回紹介する政策起業家は、英国のアラ・ダルジ卿(Lord Ara Darzi、以下AD卿)だ。爵位を持つイラク生まれの英国人で、本職は「外科医(surgeon)」である。がん治療などで名の知れた超一流臨床医であり、インペリアル・カレッジ・ロンドン所属の研究医も務め、またロボットを駆使し最先端手術技法の世界的権威でもある。後に紹介するロンドン市の医療制度改革の後、2007年、当時のブラウン労働党政権で保険省政務次官(大臣政務官)を拝命、その後も保健大臣、更には英国特任大使(保健・生命科学担当)を歴任し医療政策立案に尽力、2015年には英国最高の勲章「メリット勲章」を受勲した。
ここでは彼の政策起業家としてのキャリアの初期、2006年秋から2007年夏のロンドン市の医療制度改革における活躍に焦点を当てる。当時のロンドンは地区毎の病院・病床数や医療水準の格差、病院運営の非効率による医療の質の低下などが長年の課題であった。この問題を解消するため、AD卿は地域の保健当局から、地域の統合医療戦略の立案と広域医療改革に向けたレビューと提言の取りまとめを任されることになる。
このプロセスの中で、彼は次のような数多の創意工夫を通じ、政策アイデアの社会実装にあたる。
① 政策課題(agenda)を掲げる:「注目を集めない問題」を、「重要政策課題」に変換
・ロンドンの各病院からデータを収集・整理し、ロンドン内の地区比較や英国全土との比較実績を可視化し、問題を「医療」に留まらない、都市内や都市間の「格差」の政策問題として提起し、広く政策当局や国民の関心を喚起。
② ストーリーを語り、ビジョンを描く:メディアとテクノロジーを駆使した「見える化」
・メディアチームが、ロンドン市民や専門家への改革に関するインタビューやコメントなどを含む様々なビデオクリップを作成・配信。
・AD卿の所属大学のソフトウェア・エンジニア達と共に、仮想空間(virtual reality: VR)を構築、VR上で改革が実現されたシナリオを検証。検証内容をYouTubeで配信し、「最先端医療を提供するグローバル都市としてのロンドン」という改革へのポジティブな物語・ビジョンを多様なステークホルダーと共有。
© Imperial College London.
Second Healthと称されるこの仮想空間は、2019年5月現在も閲覧できる
( https://secondhealth.wordpress.com/ )
③洗練された改革案の策定:チームをまとめ、案を練り上げ、箔付けし、拡散
・医師としての評判(reputation)、社交性・交渉力を最大限発揮、様々な分野の医療従事者・専門家を集めたワーキンググループ(以下WG)を複数組織し緻密な制度設計。この際、AD卿はWGでは「自分はただの外科医(only a surgeon)」と、謙虚に振る舞い、多様な有識者の専門知を抽出し、集約するように尽力。
・各種のグローバル・コンサルティングファーム、米国、カナダ、ドイツ等の専門家と意見交換・交流し、取りまとめた改革案を検証・箔付け。可能な限り政策の根拠を「見える化(数値化)」(EBPMの発想)
・AD卿は自らをスポークスマン・象徴と位置づけ。取りまとめ、検証・箔付けしたアイデアを、AD卿の名前・権威で拡散することをWGメンバーに許容。
④提言を受け入れて貰う:根回し、説得、市民の当事者意識を育む仕掛けの設計
・保健省(大臣・事務方)や政権与党、ロンドン市長ほか関係者に政策の方向性を説明、改革に保守的な医療専門家達や地域の医療従事者に、医師・医療専門家の視点に立ち、懇切丁寧に説得。
・制度設計のためのWGの成果を、適宜シンポジウム等を通じ一般市民や、NGO/NPO等にも公開され、内容を詰めつつ政治的気運を醸成。また改革当時、「次期首相」が内定していたブラウン氏を改革のための公開討論に招聘。ロンドン市民との双方向的な対話と、改革に向けた当事者感を演出。
こうした努力を経てAD卿は、2007年夏に最終改革案を取りまとめた。記事の本筋からそれるため仔細には立ち入らないが、この改革案によって数十年にわたり実現しなかったロンドンの医療制度改革を一歩前進させ、その後保健省において、政務次官として英国全土の医療改革に向き合うことになる。
さて、政策起業家の生き様を理解する上で、あえて日本ではなく英国のADという外科医を取り上げたのに違和感を覚えた方もいるかもしれない。しかし、これにはきちんとした理由がある。順番に、解説していこう。
政策起業家のロールモデル?
: マルチな能力・セクター横断的キャリア
AD卿に着目した第1の理由は、ロンドン医療制度改革での彼の姿に、国や地域を超えある程度共通する、卓越した政策起業家のスキル・キャリアの特徴を見出せるからだ。具体的には、次のような要素があげられる。
① ストーリー・ビジョンを示す力(ステーホルダーの説得と巻き込みに不可欠)
② アイデアを広める演出力(メディア・テクノロジーを駆使、アイデアを拡散)
③ チームマネジメント・ファシリテート能力 (多様な専門家チームを束ね成果を出す)
④ 現実感覚 =政策が「作られる過程」と「実施する現場」への(からの)理解・共感力
⑤ 忍耐力と柔軟性 (長く複雑な根回しに耐え、政治的潮目の中で立場を上手く調整)
⑥ 扱う課題への専門性= 知見(knowledge)+専門家としての説得力(権威・評判)
とりわけ⑥には、「政策アイデア」を生み出す知的創造性に加え「この人が言うならば…」と思わせる力も含まれる。AD卿も、彼が「研究」と「臨床(現場)」の双方に通じた外科医だからこそ、WGの多様な専門家達をまとめ、かつ保守的な医療専門家や医療従事者の説得できた。卓越した政策起業家は、「頭でっかち」や「言いっ放しのアイデアマン」ではなく、知見と評判を①・③・④のに変換する力も含めた「専門性」を持ち合わせている。
また特筆すべきは、AD卿の改革が、恐らく彼が単なる「臨床医/研究医」であったり、あるいは生え抜きの「政治家」や「保健省官僚」であったならば体現しえなかったことだろう。医師として培った知見・権威と、医療現場・専門家への(からの)共感力、ロンドン市民が納得できるストーリーを描く政治家的センス、制度への理解と丁寧な根回しを厭わぬ官僚的粘り強さ―その全てが、彼を卓越した政策起業家をたらしめた。前編で、民間・公共・社会セクターを渡り歩くトライセクター・リーダーというキャリアパスに言及したが、AD卿も、これと類似する形の「パラレルなキャリア・スキル」を兼ね備えたリーダーといえる。
前編や直近で述べた通り、政策起業は「チームプレイ」だ。上記の資質全てを一人が備える必要は必ずしもない。ただ、大規模な政策起業プロジェクトの「中心人物」となる、卓越した政策起業家は、大なり小なり上記のような資質を持ち、それらを培いうるキャリアパスを歩むものが多いことは、頭にとどめておきたい。(2頁に続く)
英国から令和日本への教訓
:政策起業家と政策共創過程は「創りうる」もの
英国におけるAD卿の事例を見たもう一つの理由は、政策起業家による開かれた政策共創が、概念の生まれ故郷の米国を超え、世界各国で成立しうることを教えてくれるからだ。
英国は、伝統的に政策形成過程の閉鎖性(中央政府の影響力)が強かったことで知られる。一方、AD卿が活躍した時期の英国(ブレア~ブラウン労働党政権期)は、英国の政策形成過程が、外部の専門家集団も交えた開かれた政策共創に向け舵を切る過渡期であった。特にブラウン政権が組閣理念として掲げた、“あらゆる才能を結集した政府(Government of All the Talents)”という標語は、まさにこうした発想を象徴している。
このことから、少なくとも政策起業家という人物/発想は、米国の専売特許ではないことがわかる。各国に、その国の実情に応じた政策起業家は存在しうるのだ。事実、政策起業家とその研究は、英国に限らず、オーストラリア、イスラエル、オランダ、EU諸国、中国でも見られ、また日本でも数は少ないが、これまでも存在してきた。
確かに、「政策起業家」概念の生まれ故郷である米国は、彼ら/彼女らが活躍し易い国だろう。立法機能が強い議会、政策起業家が政府に出入りし易い「回転ドア(revolving door)」制度、更には、数多のシンクタンクなど、人財供給源となるプラットフォームの豊富さなど…政策起業家の活動を支えるエコシステム(生態系/ecosystem)が根付いているのは間違いない。
しかし、英国とAD卿の事例が私たちに教えてくれるのは、「政策起業家は『与えられた』ものではなく、各国の社会が『育てる』ものであり、そのためのエコシステムもまた各国が『創り出す』もの」であることだ。当時の英国同様、まさに政策形成過程とパブリックなキャリアの過渡期にある令和日本も、この教訓に学ぶべきかもしれない。
2回にわたり「政策起業家とは何か(誰か)」を見てきたが、もう一つ、大きな問いが残る。そもそもなぜ、政策起業家という人物や発想は、令和日本の政策形成過程を考える上で重要なのか―次回以降は、現時点でのプロジェクトの問題意識を踏まえつつ、この問いに正面から向き合っていく。
(API 21世紀日本の政策起業力プロジェクト事務局)
主要な参考文献一覧
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- "Second Health:The Future of Healthcare Communication," Imperial College London, <https://secondhealth.wordpress.com/>
accessed 2019/5/30 - S Boseley, “Ara Darzi: An Innovative Surgeon Who Led Reforms of UK's NHS,” The Lancet, September 26, 2009.
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