PEP では、政策起業に関連した英語記事を翻訳して発信する翻訳コンテンツを定期的に発信しています。 今回は、イノベーション政策に関する米国のシンクタンク Institute for Progress...
ステファン・ベネット「政策立案におけるアートの役割とは?」
今回は、英国政府内の政策デザイン研究所ポリシーラボから、以下の記事をお届けします。
翻訳元: Stephen Bennett, A role for art in policy-making?, Policy Lab, 2018/10/10
ステファン・ベネット、キャス・スリーマン (2018)《20年の格差 (The 20 year Gap)》写真クレジット:Stephen Bennett
ポリシーラボは、英国政府に実験的思考をもたらすために設立されました。これには、最近の自動運航船に関する運輸省とのプロジェクトのように、未来を考えるためのデザインテクニックの使用が含まれています。また、求職者がジョブセンター(訳注:英国政府が運営する職業安定所)でのやり取りにおいてどのようなことを感じ、体験しているのかを理解するために労働・年金省に協力したプロジェクトでは、エスノグラフィーの手法を試しました。さらに、データサイエンスとデザイン思考を組み合わせて、新しい政策立案の方法を創出しました。
私のポリシーラボの研究課題は、最近のセントラル・セント・マーティンズ・カレッジ (Central Saint Martins College) での芸術と科学修士課程での研究に基づいているものですが、政策立案における芸術の役割があるかどうかを問うものです。
政策立案を完全に客観的で高度な技術を要する追究と考える人もいます。1820年代にさかのぼると、フランスの哲学者アンリ・ド・サン=シモンは、科学的理性に基づく新しい政治秩序を提案しています。曰く、 「正しい決定は、人間の意志とはまったく無関係に、科学的な実証の結果としてのみなされます」(Institute for Governmentの出版物で引用されています)。
サン=シモンの政治秩序は、今日まで実現していません。最近では、イングランド銀行の元副総裁ミノーシュ・シャフィクが、我々が「ポスト・トゥルース」の時代にいるかどうかについてオックスフォード・ユニオンで議論しました。感情的、本能的、非合理的なものが常に意思決定に関与してきたと主張する人もいるでしょう。
スターリング大学の政治学教授ポール・ケアーニーは、政策問題を訴えかけることに成功した提唱者は「問題に注目を集めるための感情的アピールとシンプルなストーリーの価値を認識している」と指摘しています。これはアーティストのオラファー・エリアソンの言葉にも反映されています。「事実が全てではありません。罪悪感によって人が自発的に行動することがないように、人は事実だけでは行動しません。人は感情的、身体的な経験によって行動を促されるのです。」
オラファー・エリアソン (2015)《アイス・ウォッチ (Ice Watch)》 写真クレジット:Martin Argyroglo
芸術家は私たちの感情を探る「専門家」と考えることができるかもしれません。多くの人々は、絵画、映画、演劇や演奏などのアート作品に直面したとき、深く感情的な経験を思い出すでしょう。エリアソンは2015年、国連の気候変動交渉を支援するために、《アイス・ウォッチ (Ice Watch) 》という感情に訴えかける作品を制作しました。この作品では、12個の氷塊が北極から曳航され、パリの街角で溶けるまで放置されました。人々は氷に触れ、それが滴り落ちる音を聞きました。これは、政策決定者たちが私たちの未来を形作る決断を下している街での深く感動的な経験でした。
セントラル・セント・マーティンズでの私の仕事と、政府アートコレクション (Government Art Collection) および王立協会の聡明な同僚との議論を通じて、私は芸術が政策立案で役割を果たす3つの方法を提案します。
1. データとエビデンスへの取り組み
データは私たちの生活にますます浸透しています。これにより、政府がデータを活用して、より良い公共サービス、つまり市民に合わせたサービスを低コストで提供する大きなチャンスを生み出しています。しかし、データの処理、分析、提示は「日常的な経験からますますかけ離れたものとなりつつあります」。データがより広範かつ複雑になり、社会の様々な局面に浸透するにつれ、データは私たちの生活から疎外されたものとなります。シャフィクが説明した「ポスト・トゥルース」傾向の背後にある一つの要因がここにあると私は考えています。
普段の仕事のほかに、私は最近、データアーティストのキャス・スリーマンと協力して、Nestaの最近のFutureFestのためのインタラクティブなデータビジュアライゼーションを作成しました。この作品では、特に専門的でありながら重要なデータである「無障害平均余命」(Disability Free Life Expectancy, DFLE)を示しています。この無障害平均余命は、生活を制限する健康状態や病気なしで生きることが期待できる平均年数のことを指します。この作品では、英国内で最高と最低の地域の間に20年以上の差があることを示しています。例えば、リッチモンド・アポン・テムズの住民は、生活を制限するような状態や病気にならずに生きられる平均年数が71年であるとされます。一方、南ウェールズのブレナウ・グウェントの市民にとって、その数字は平均して50年です。
ステファン・ベネット、キャス・スリーマン (2018)《20年の格差 (The 20 year Gap)》写真クレジット:Stephen Bennett
私たちは、ロンドン東部のタバコ・ドックの広大なアトリウムに216本の糸を吊るすことでこのデータを視覚化しました。それぞれの糸は地方に相当し、それぞれに青と琥珀の薬瓶を吊るしました。青い瓶の高さは各地域の平均寿命を、アンバー色の瓶の高さは無障害平均余命を表していました。鑑賞者は、この3D空間でデータを体験することで、以前は認識していなかった傾向に気づいたと報告しました。このインスタレーションでは、参加者が「20年の格差を解消するために、私は……」という文を完成させるアイデアを書き留めることができるインタラクティブなものでした。
ステファン・ベネット、キャス・スリーマン (2018)《20年の格差 (The 20 year Gap)》写真クレジット:Stephen Bennett
この実験から得た主な教訓は、力強いデータプレゼンテーションを幅広い観客と共有することで、創造的な政策提案が生まれるということです。例えば、FutureFest参加者が提案した「20年の格差を埋める方法」のアイデアは、幼児教育から砂糖の取り締まり、経済のバランスを調整する根本的なアプローチまで、多岐にわたりました。
2. 未来について考える
今日下される政策決定は、エネルギー生成、洪水インフラ、産業戦略のいずれにおいても長い寿命を持ちます。技術や地政学、社会の変化によって公共政策が時代遅れになるリスクを最小化するために、未来について考えるのが有用であるということを、政府科学局は長い間認識してきました。しかし、多くの理由から、未来について考えることは困難です。私たちは当然のことながら、現在の出来事、問題、機会に気を取られてしまいます。芸術的アプローチを使用して、未来についてより豊かな会話を生み出すにはどうすればよいのでしょうか?
ステファン・ベネット、アミー・スターマー (2017) 《ヤングス・トランスレータ― (Youngs Translator)》 写真クレジット:Stephen Bennett
最近、王立協会はまさにこの課題に直面しました。王立協会は世界で最も歴史ある科学機関の一つです。2016年に協会は、近い将来の科学者の活動文化によって未来の研究がどのような影響を受けるか、というトピックについて検討を始めました。これには、給与、資金、情報共有、リスクに対する考え方、研究室のエチケット(どのような研究が、誰によって、どのような目的で行われるかを決定する暗黙のルールや圧力)が含まれます。望ましい、もしくは望ましくない将来の研究文化がどのようなものになるのかについて、今日活動している研究者から意見を引き出すのは難しいことが分かりました。これを克服するために、セントラル・セント・マーティンズで芸術を学ぶ学生は、未来の「驚異的な物体の博物館、2035 (Museum of Extraordinary Objects, 2035)」から持ち込まれたもの、という設定で、思索的 (speculative) な人工物を作成することを提案しました。それらの人工物を生み出す研究文化について質問するためです。
アーティストのヘレン・カーリー(左)と彼女の作品《失敗のメモリアル (2032) (Memorial to Failure (2032) )》。「驚異的な物体の博物館 (Museum of Extraordinary Objects)」の開幕日にて。2017年6月。 写真クレジット:王立協会
博物館の展示品には、生きた組織を病院からハックスペースや家庭の研究室に運ぶためのラボタクシー (Lab Cab)、異なる科学分野間で解読を行う(訳注:異なる研究分野の間でコミュニケ―ションが取れるように、お互いの分野の専門用語などの翻訳を行う)ヤングス・トランスレーター (Youngs Translator) 、研究プロジェクトに市民資金を配分するための市民投票の投票用紙などがありました。これらの刺激的な作品は、現在の研究の実施方法について思考を促し、市民科学者の可能性、オープンアクセス研究の未来、研究への公衆の関与アプローチなどといった代替案を示唆するように設計されました。
この仕事から私が得た主な教訓は、抽象的な概念をより具体化し、物質化したことによって、物理的な人工物が役に立ったということです。研究者や利害関係者がこれらの人工物を好むことはめったにありませんでしたが、参加者は人工物に触発されて未来についての会話を行いました。例えば、「これがネガティブな未来を表しているなら、ポジティブな未来とは何か?」「この人工物が作られるためには、今後10年間で何が起こる必要があるか?」といったものです。協会は、これらの議論を通じて発展したアイデアを「研究文化 (Research culture)」という出版物に取り入れ、それに基づいた取り組みを展開し始めています。これには例えば、研究者が行う幅広い活動を正しく評価するための採用ツールである「モデルCV テンプレート」が含まれます。
3. 政策立案への創造的アプローチ
私の3つ目の分野は、創造性を政策立案に応用することです。多くの政策担当者にとって、上級管理職や大臣から「従来の考え方から脱却する」ための新しいアイデアを求められたときに経験する創造性の行き詰まり感はなじみ深いものでしょう。A4用紙の空白のページを前にして、どこから始めたものかと途方に暮れる時の恐怖といったら!
アーティストは、文字通り、白紙のキャンバスから始めます。アーティストは、この気が滅入るような空虚なキャンバスを、美しく、洞察力に富み、構造化され、ダイナミックな制作物にするために、さまざまな技術を使用します。コラージュアーティストのロッド・ジャドキンスは、彼の経験をもとにあらゆる文脈や職場での創造的思考を改善するための一連の実践的なステップを考案しました。同様に、セントラル・セント・マーティンズの学生たちは、新鮮な芸術的アイデアを生み出すために自分たちの実践に人為的な制限を課しています。このアプローチはすでにロンドン芸術大学の教育専門家を支援するために改変の上使用されています。
衛星サービスの参加型の依存関係マップ作成を手伝うデザイナーのロビー・アレン(写真クレジット: Stephen Bennett)
ポリシーラボは最近、政策チームが仕事の行き詰まりを克服する手助けを行うために、アートの手法を借用する実験を行いました。ラボは英国宇宙庁と協力して、政府が重要な資産とGPSや衛星通信などの宇宙サービスとの間の依存関係をマッピングするのを支援しました。依存関係の中には、船舶とGPSの間のように明らかなものもあります。しかし、他の分野では、状況はそれほど明確ではありません。
私たちは、以前テート・モダンでギャラリーの来場者がインダス渓谷の気候変動に関するデータマップを共同で作成するのに使った参加型アート主導のアプローチを借りることで、この障害を克服しました。ポリシーラボは、さまざまな種類の英国の重要な国家インフラと英国の宇宙サービスとの間の依存関係のマップを構築するための共同ワークショップを開催しました。
私にとっての主な収穫は、この参加型アート主導のアプローチが2つの重要な政策成果を達成したことです。第一に、各省庁の代表者がマップに目に見える形で要素を追加していくのを、互いに見て学ぶことができました。これは、一部の省庁が比較的初期段階の思考にある一方で、運輸省などの他の省庁がすでに専門家であった場合に特に有用でした。第二に、特定の宇宙サービスがいかに公共サービス全体にとって重要であるか、また、人工衛星の喪失に対して我々がいかに脆弱であるかをグループ全体が一目見て理解できた、という点でこのアプローチが役に立ちました。
こうした実践的な実験やプロジェクトは、アイデアを検証し、リサーチ・クエスチョンを発展させるのに有効な方法でした。政策立案におけるアートの役割に対する私の関心は、現在進行中の、そしてこれから始まるポリシーラボのプロジェクトを通じて続いており、他の人たちと経験を分かち合いたいと思っています。
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監修:野澤